神功皇后Project

■ パート5 衣装関連の研究と作成

 衣装関連の製作が具体的にスタートしたのも、8月の研究会からといえます。囃子連としては、それに先だって、地元の研究者たちが記したお祭りに関する資料や奈良・平安時代などの歴史・風俗を研究した資料などにも目は通してきていましたが、やはり、山車人形こそがもっとも参考にすべき最高の研究資料なのでした。

 神功皇后は古事記や日本書紀よりも古い神話の世界の人ですから、実際に神功皇后の時代の人たちが身につけていた衣装がどのようなものであったのかについての確かな記録などは、あろうはずもありません。実際に神功皇后の山車人形を作った作者も、おそらくは奈良・平安期の朝廷での装束などを参考にデザインしたものと考えられますが、これから作っていく衣装の詳細については、まずは山車人形の姿・形をもっとも大きな拠り所としなくてはならない囃子連でも、奈良・平安などの朝廷にて着用されていた衣装の研究を一つの基準として、山車人形の装束についての裏付け検証を進めていくことにしました。

 その検証作業の際に、大きな疑問点が出てきました。それは、山車人形の衣装について記されている研究資料に納得のいかない部分が見つかったためです。その資料では、「紺地の錦に五爪竜と飛雲の織物の『直衣(のうし)』を上着に纏い、袴には四季の花の咲く籬(まがき)の模様の段替わりの織物の『大口袴(おおぐちばかま)』を付ける」と記されています。この点が引っかかってしまったのです。というのも、囃子連が自分たちで調べてみたところによれば、「直衣を着る際には、裾を紐ですぼめられるようにしてある『指貫(さしぬき)』という袴の一種を着用しなければならない」という決まり事があることがわかったためです。つまり、直衣と指貫とはワンセットというわけです。しかし、山車人形が着用しているのは大口袴なのです。これでは整合性がとれません。

 そこで、囃子連では、山車人形が着用している上着は直衣ではなく、直衣ときわめて類似し、大口袴とセットで着用されてもおかしくない「袍(ほう)」であると解釈しました。山車人形の神功皇后は、中古以降の朝廷において公事の際の正装とされている「束帯(そくたい)」姿であると判断したのです。上着が袍という正装であれば、大口袴だけでなく、糸を組んで作った平たい太刀の緒である「平緒(ひらお)」や頭にのせている冠についての説明もつきます。また、束帯姿の場合には、通常は「笏(しゃく)」を手に持つのですが、山車人形では、出陣姿という想定であることから、手には軍配を、腰には大刀をという格好がデザインされたのではないかと考えました。

 その他、囃子連では、山車人形の着衣にデザインされている五爪の竜と飛雲、四季の花、鳳凰などの模様、また、その色使いなどについての研究も進めます。そしてそのいずれもが、もっとも位の高い人が着用するのにふさわしい仕様になっていることもわかってきたのでした。

 さて、神功皇后プロジェクトとしては、住江町の山車人形の装束を基本ラインとして、舞の衣装や小物をそろえていけばよいことがわかりました。ただし、全く同じものを作るのは、技術的にも予算面からも不可能です。また、年に一度だけ飾られることがメインの山車人形の衣装とは違って、神功皇后プロジェクトでは、その衣装を身に纏って舞わなければなりません。ある程度動きやすく、洗濯などもできる丈夫さをも兼ね備えたものでないとなりません。そのあたりも十分に考慮した上で、衣装の一つひとつを発注し、小物をそろえていくことにしたのでした。

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